
幸村誠さんの漫画「プラネテス」を読みました。
舞台は宇宙開発の推進により、地球の周りをゴミ(デブリ)が秒速8kmで飛翔、デブリ回収という職業がある世界。
世間的にこの作品は「宇宙」「愛」がテーマのようです。
私の好きな楽曲では「愛」について、次のように綴られています。
「どんなに困難で くじけそうでも 信じることさ 必ず最後に愛は勝つ」
(KAN 愛は勝つ より)
「愛は必ず 最後に勝つだろう そうゆうことにして 生きてゆける」
(スピッツ 正夢 より)
さて、最後に愛は勝つのか?
私は他にもテーマがあると思っています。
今回は、少し違う角度からも深堀します。
ぜひ、読んでみてください!
- 1.『プラネテス』のテーマは「宇宙」より「境界」なのではないか
- 2.ユーリの物語から考える「世界の境界」
- 3.ハチマキの物語から考える「自分の境界」
- 4.ノノは「人間」だが「地球人」ではない?
- 5.『プラネテス』の「愛」とは、境界をなくすことではない
- 6.まとめ|『プラネテス』は「境界」を通して人間を描いた漫画
1.『プラネテス』のテーマは「宇宙」より「境界」なのではないか

幸村誠の漫画『プラネテス』を読み返していると、「宇宙」という言葉以上に気になってくるのが「境界」というテーマです。
地球と宇宙、自分と他者、生と死、社会と個人。
作中の人物たちは、こうした境界について悩み、時にはその境界が本当に存在するのかすら疑い始めます。
公式でも『プラネテス』は、2070年代の宇宙開発を背景に、航宙士を目指す星野八郎太、通称ハチマキの成長を軸とした「惑う人々」の物語と紹介されています。
つまり、宇宙そのものよりも、宇宙を前にして「自分は何者なのか」と迷う人間たちが重要なのです。
特に象徴的なのが、ユーリと老人の会話です。
ユーリが「ここはどこなのか」と考え、地球、北米、西洋など、より大きな単位へと答えを探していくのに対し、老人は「ここも宇宙だ」と返します。
この一言で、地球と宇宙を分けて考えていた前提が崩れてしまいます。

宇宙は地球の外側だけにあるのではありません。
私たちが立っている場所も、呼吸している空気も、身体も、すべて宇宙の一部です。
すると「地球と宇宙の境界はどこなのか」という問い自体が怪しくなります。
ここから考えると、『プラネテス』の面白さは、境界を見つける物語ではなく、自分たちが当たり前だと思っていた境界を問い直す物語にあるのではないでしょうか。
しかも、境界がないと知ったからといって、すべてを同じものとして扱うわけではありません。
人間には、自分と他者を区別し、自分の居場所をつくる必要もあります。
この「境界はある。でも絶対ではない」という緊張関係こそが、本作を単なる宇宙SF以上の作品にしていると考えられます。
2.ユーリの物語から考える「世界の境界」

結論から言えば、ユーリの物語は「世界には明確な境界線がある」という考え方から、「境界線そのものを疑う」という考え方へ移っていく話として読めます。
これは一見すると、答えを探している人物の姿です。
しかし、老人との会話によって、ユーリは別のことに気づきます。
自分が知りたかったのは「正しい答え」だったのに、世界そのものは、そんなに簡単に区切れるものではないのです。
象徴的なのが、「ここも宇宙だよ」という老人の言葉です。
地球と宇宙を別々のものとして考えていたユーリに対して、老人はその境界を軽々と飛び越えます。
後にユーリ自身も、世界の境目がないという感覚にたどり着きます。

実際、読者の間でもこの場面は『プラネテス』を象徴するものとして長く取り上げられており、作品全体を「地球と宇宙の境界の曖昧さ」と結びつける読み方も見られます。
ここで重要なのは、「境界なんて存在しない」という単純な結論ではありません。
たとえば地球と宇宙には、温度や大気、重力など、明確な違いがあります。
ただ、「ここからが絶対的に宇宙」という線が自然界に引かれているわけではありません。
人間が理解するために線を引いているのです。これは自分と他者にも当てはまります。
自分と他人は別の人間ですが、言葉や感情を通じて影響し合っています。
つまり境界は壁ではなく、行き来のできる膜のようなものなのかもしれません。
3.ハチマキの物語から考える「自分の境界」

『プラネテス』の主人公ハチマキは、最初から「世界とのつながり」を理解していたわけではありません。
むしろ彼は、自分だけの宇宙を大きくすることに夢中になっていた人物です。
木星往還船を目指し、自分の限界を超えようとする。
その姿は格好良くもありますが、同時に、他者との関係を後回しにしてしまう危うさも持っています。
自分が宇宙の一部にすぎないと気づいたとき、それまで抱えていた怒りや不安が小さなものに感じられるようになります。
ところが、それだけでは幸せになれません。
むしろ「生きることそのものがつまらなくなった」という感覚に近づいてしまいます。
講談社の3巻紹介でも、木星往還船の試験に合格したハチマキが、次第に自分がなぜそこにいるのか分からなくなっていく展開が示されています。

ここに、この作品のかなり重要な逆説があります。
「自分は宇宙の一部だ」と理解するだけでは、人間は生きられないのです。
自分の悩みが宇宙規模では小さいと分かっても、悩みが消えるわけではありません。
そこでハチマキは、自分一人で宇宙と向き合うことの危険さを知ります。
そして最終的に、「独りじゃないからオレは生きていられる」という方向へたどり着きます。
自分の境界を広げすぎて自分を見失った人間が、もう一度、他者との関係の中で自分の場所を見つけることなのです。
宇宙と一体になることではなく、宇宙の中にいる一人の人間として、誰かとつながって生きる。
この答えが、ハチマキの物語を支えています。
4.ノノは「人間」だが「地球人」ではない?

『プラネテス』の境界というテーマを考えると、ノノという人物はとても興味深い存在です。
ノノは月面で生まれ育った「ルナリアン」と呼ばれる人間です。
地球生まれの人間から見れば特殊な存在ですが、ノノ自身にとっては、月が生まれ育った場所です。
朝日新聞の作品紹介でも、ノノは月面で生まれ育った月面人として紹介され、低重力の環境で生きる彼女の身体が、地球とは異なる環境によって形作られていることが説明されています。
人間です。
しかし、「ノノは地球人か?」と聞かれると、急に難しくなります。
地球人を「地球で生まれた人間」と定義するなら、ノノは地球人ではありません。
では、地球で生まれた人が幼い頃から月で暮らしたらどうでしょうか。
月で生まれたノノが、地球で長く暮らしたら、その瞬間から地球人になるのでしょうか。
出生地、文化、身体、国籍、自己認識のどれを基準にするのかで答えが変わります。

ここには、「人間」と「地球人」の違いがあります。
「人間」は生物としてのカテゴリーですが、「地球人」は所属や文化を含む、より曖昧なカテゴリーです。
ノノは、その境界の曖昧さを体現する人物だと考えられます。
地球人ではない。
しかし、人間ではある。
この一見すると当たり前の事実が、実は「人間とは何か」「どこに属するとはどういうことか」という大きな問いを生み出します。
『プラネテス』が宇宙へ進出した人類を描きながら、最後まで「人間そのもの」を描いている理由も、ここにあるのではないでしょうか。
5.『プラネテス』の「愛」とは、境界をなくすことではない

ここまで考えると、『プラネテス』における「愛」の意味も少し違って見えてきます。
結論から言えば、この作品の愛は「すべてを一つにすること」ではなく、自分と他者が別々の存在であることを認めたうえで、それでもつながろうとすることなのではないでしょうか。
自分の痛みを相手にそのまま渡すこともできませんし、相手の人生を完全に理解することも不可能です。
それでも私たちは、言葉を交わし、相手を気にかけ、相手のために行動します。
この関係は「境界がない」状態ではありません。
むしろ、境界があるからこそ成立します。
「空気」は誰か一人が所有しているものではありません。
場にいる人たちの表情、言葉、期待、感情などが影響し合うことで生まれます。
自分と他者は別々なのに、互いの存在によって行動が変わる。
境界は壁ではなく、影響が行き来する場所になります。
ただし、空気は人をつなぐだけではなく、集団に馴染めない人を排除する力にもなります。
だからこそ、つながりそのものを単純に善とすることもできません。

自分と他者は違う。
それでも関係を求めてしまう。
社会に馴染めない人にも居場所が必要になる。
宇宙に境界がないとしても、人間には「帰る場所」が必要になるのです。
だから『プラネテス』を一言でまとめるなら、「愛の物語」というだけでは少し足りません。
「違う存在でありながら、どうやってつながって生きるのか」を描いた物語なのだと思います。
宇宙と地球、自分と他者、人間と地球人。
境界は確かにあります。
しかし、その境界を絶対視しないこと。
そして境界の向こう側にいる存在と関係を結ぶこと。
それが、本作が何度も問いかけているテーマなのではないでしょうか。
6.まとめ|『プラネテス』は「境界」を通して人間を描いた漫画

『プラネテス』を「宇宙を舞台にしたSF漫画」とだけ捉えると、この作品の面白さを少し取り逃してしまいます。
もちろん宇宙開発やデブリ回収、木星往還船などのSF要素は大きな魅力です。
しかし、その宇宙を使って幸村誠が描いているのは、そこで生きる人間の迷いや孤独、他者とのつながりです。
公式でも本作は「惑う人々」の物語とされており、まさに登場人物たちは、自分の居場所や生き方を探し続けます。
ユーリは地球と宇宙の境界を考え、ハチマキは自分と宇宙の関係に悩み、ノノは人間と地球人という分類の曖昧さを体現しています。
そして、これらの問題は最後に「自分と他者」という関係へ戻ってきます。

①境界は存在するが、絶対的なものではない。
②境界をなくしすぎると、自分自身の存在や生きる意味まで見失ってしまう。
③大切なのは境界を消すことではなく、違いを残したまま他者とつながること。
この視点で読むと、「ここも宇宙だよ」というユーリのエピソードから、「独りじゃないからオレは生きていられる」というハチマキの気づきまでが、一本の線でつながって見えてきます。
「私はどこまで私なのか」「他者とは何なのか」「自分の帰る場所はどこなのか」という問いが、今を生きる私たちにもそのまま残っているからです。
この緊張関係こそが、『プラネテス』という作品の核心なのではないでしょうか。
参考
前回の記事





































































